天泣



空を見上げると、どこまでも青一色が広がっていた。
雲一つ無い、晴天。
しかし周瑜には、どうも一雨来るような予感がしてならなかった。
「あーあ、つまんねぇ〜。兎くらい出てきても良いじゃんかよ」
苛立った声が隣の馬上から聞こえた。空からそちらに視線を移すと、
手綱を握ったまま器用に弓を弄っている親友がいた。
まるで拗ねた子供のような姿に、思わず笑みがこぼれる。
「昨日の今日ですから、怖くて森の奥に隠れたのでは?伯符」
「本当にそうなら傑作だけどな」
宥めるように声をかけると、その言葉に彼―――孫策は、くっくっと喉で笑った。
実際、昨日も同じ森に狩りに行ったのは事実だった。
その時は猪を一匹捕えたが、かと言って他の獣が動揺するとは考えられない。
弓を弄るのを止めて、孫策は周瑜の方に馬を寄せてきた。
「でもよ、今までこんな事なかったよな?」
「そうですね。まだ秋ですから、冬眠と言う訳ではないでしょうけれど。
鳥の囀りまで聞こえなかったのは不思議に思いました」
よくよく思い返せば、今日の森は妙に静かだった。
葉の擦れ合う音と二人の足音以外には、何も音が存在しないかのような感覚だった。
しかし孫策としては、獲物がいなかったことの方が余程問題のようだった。
唇をとがらせて、先刻から独り言のように不満など洩らしている。
「収穫なしって言ったら、親父が馬鹿にしそうだな」
「では、代わりに木の実でも取って帰りますか?」
「性に合わねぇよ。…あーでも、お袋とか尚香は喜びそうだな」
尚香とは孫策の妹である。上の兄弟が皆男だからか、それとも父親の影響か。
武芸を好み、少々男勝りなところがある。
二人の反応が容易に想像でき、周瑜と孫策は顔を見合わせると声を立てて笑った。
すると、何か冷たいものが手綱を握る手の甲に落ちてきた。
「…雨、ですね」
「晴れてるのにか?嘘だろ」
二人して空を見上げると、そこには周瑜が見た時のままの蒼空が広がっていた。
やはり雲は一つも出ていない。しかし、確かに小雨が降り注いでいた。
「ひどくはないようですが、この小雨はちょっときついですね」
「じゃあ、そこら辺で少し休むか」
帰路はまだまだ長い。通り雨かもしれないということで、
二人は何処か近くで雨宿りをすることにした。







暫くして空き家を見つけた。急いで庇の下へ馬を引いて駆けこむと、
孫策は自分の服を見て声を上げた。
「うひゃー!小雨だってのに、随分濡れたぜ」
「これでは…ほとんどびしょ濡れですね」
小雨とはいえ長く打たれたせいか、服はすっかり水分を含んで重くなっていた。
周瑜は結い紐を解いて、頬や額に貼り付いてくる髪を梳かした。
こういう時は長髪であることが嫌になる。
しかし敢えて切らずにいるのにはちゃんと理由があった。
本当に些細な理由だが…。
拭くものもないので、仕方なく手である程度絞ってから髪を結い直した。
「なぁ、公瑾」
名を呼ばれ孫策の方に目をやると、不思議そうに周瑜の方を見ていた。
「何ですか?」
「何で髪切らないんだ?」
唐突で率直な質問に、周瑜は苦笑して聞き返した。
「そんなに面倒臭そうな顔していました?」
「まぁな」
普段は簡単に顔に出すような周瑜ではないのだが、
孫策の前だとどうも無意識のうちに出てしまうようだった。
それとも、顔に出ずとも孫策には分かってしまうのか。
「…貴方のせいなんですよ。伯符」
「は?俺??」
まさか、理由となっている本人に素直に答えるわけにもいかず…。
少なくとも嘘ではない答えを返すと、孫策は益々訳がわからないという風に顔をしかめた。
そんな様子に周瑜はただ微笑む。
「それはそうと伯符。知っていました?」
「?…何が?」
追求を遮るように突然周瑜に問われ、孫策は少々面食らったように顔を向けた。
「こういう、空が晴れていて降る雨を『天泣』というのですよ」
「へぇ〜。知らなかったな」
ふと思い出したことをそのまま答えると、孫策は感嘆の声を上げた。
いつだったか、書物で読んだ雨の話。
昔の人は、空が晴れていながら雨が降るのを『天が泣いている』から、
と考えたと言われている。そこから『天泣』という名がついたのだ。
もしかしたら、この雨を予期して獣たちは姿を隠したのかもしれないと、
周瑜は一人思った。
微かに雨音が小さくなったように聞こえたが、まだ止む気配はない。

お互い沈黙のまま、時間だけが流れた。

周瑜は傍らの馬の背を撫でていたが、先刻から感じる視線に戸惑いを感じていた。
それは気のせいなどではなく、ちらりと孫策の方を覗えば、微動だにせず周瑜を見つめている。
気にはなったが話しかけ難かったので周瑜は黙っていた。
紛らわすように外の風景を眺めていると、不意に孫策が歩み寄ってきた。
「…伯符?」
周瑜の呼びかけに返事はなく、肩を掴まれると無防備な頬に孫策の唇が触れてきた。
あっという間の出来事に、暫し周瑜の思考回路が止まった。が、すぐに正気に戻ると、
周瑜は顔を真っ赤にして後ろに退いた。
「〜〜〜〜〜っっ!伯符!!」
「へへ、もらい♪」
孫策の行動に慌てふためく周瑜とは裏腹に、孫策はそんな周瑜の様子を楽しむように
ニヤニヤしていた。何か言おうとしても言葉が出てこず、周瑜は口付けされた頬を掌
で隠すようにすると、孫策から視線をそらした。
なかなか孫策が傍から動かないので、周瑜は顔を上げることが出来なかった。
「…お?泣き止んだな」
その言葉に、何時の間にか雨音が消えていることに気付く。
葉の雫に陽の光が反射して、キラキラと眩いほどに輝いていた。
孫策は庇の外から、周瑜は庇の下から空を見上げた。
うんと大きく背伸びをして孫策が周瑜を振り返る。その顔には満面の笑み。
どうやら一匹でも仕留めない限り帰らないつもりのようだ。
颯爽に馬に跨ると、そのまま断ることなく駆け出して行った。
「全く…困った人ですね」
どこまでも子供っぽい孫策に少々呆れながらも、
周瑜は怒るでもなく、自らも馬に跨ってその背を追いかけた。





「…あの…伯符」
「ん?何だ?」
「何故…あんな事したんです?」
まだ頬に残る感触。思わず触れてしまいそうになるのを抑えて、周瑜は前を行く孫策に問うた。
孫策は馬ごと向きをかえると、周瑜に近づいてきて額を突ついた。
「秘密♪」
「え?」
「はぐらかして、結局教えてくれてないだろ?髪切らない理由。だから俺も秘密」
そう言うと孫策は、馬の腹を蹴って森の方へと駆けて行ってしまった。
何だか悔しくも感じたが、周瑜としては好都合だった。
それにあの孫策のことである。
耐え切れず夜にでも自分を訪れるだろうと、周瑜は確信していた。




秋篠音羽様よりのコメント
小説初投稿っ!しかも策瑜♪
しかしながら…私の文はくどいですね(汗)。特に後半。
小説なんて書きなれてないから苦手です。(言い訳)
知らぬ間に二部構成になっちゃってるし…。






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